2番目の家2016年03月03日

昭和53年4月夫の転勤に伴って島原へ引っ越した。
私は五島で一人で3年から4年を過ごす事ができないと、退職した。
島から陸続きになったと言うことは 嬉しいことだった。

島原は公舎あいてなく 九州建設のアパート 九建アパートだった。
2階建てが横に何間か連なっている作り
下は、台所、風呂 玄関 6畳和室。
2階は3畳の和室が北側、6畳和室が南側にあってベランダがついていた。

下で食事、
ピアノも下の和室においた。
カーテンを買った、前の家は古い家でカーテンなどいらなかったから
無地の白っぽいカーテン。

島原の市街地から 広い2車線の道が少しずつ上り坂になっている、その道ぞいにあって、アパートの前は駐車スペース。 小石ががたがたとしたむきだしの 地面。 玄関は北側だけど、南に面した6畳和室から出入りする事が多かった。 半畳ほどの花壇があり野菜も花も育てたことがなかったけど、何か、植えた。 
花か何か植えていたら、隣の小さい男の子が花をむしったと言う事で母と喧嘩?になった事があったなあ
母が良くきてくれていた。 母がきていたとき、隣の子が花をむしッたのを見て、私に報告したら、私が そんなはずないよと否定した、そのいい方が悪かったのだろう、と思う。母を傷つけた。 花壇に関してはそれぐらいしか思い出がない。

夏のある日、夫が昼ご飯を食べに帰ってきた。
職場からバイクで10分弱の場所だったのでお昼は食べに帰ってきていたのだろうと思う。
そーめんを食べていたら 網戸の生まれたばかりのような子猫がみゃあみゃあ泣きながらよじ登ってきた
小さい子猫が力を振り絞って網戸を登ってきた姿をみて 私たちはその子猫を飼うことにした。
獣医さんに連れていき、しばらくは何も食べなかった。
サンマの缶詰を食べさせてみたら、驚く程、食いつき、それから子猫はみるみる元気になった。
長崎の夫の実家に帰るときも連れていった。
五島で読んでいた少年漫画のまことちゃん、に出てくる猫メチャ の名前をもらって、メチャと、名付けた。
当時は、猫は外も家も自由に行き来するのが当たり前で、
メチャも、昼はあちこち外出していた。
でもメチャ~と呼ぶと どこからともなく帰ってきた。
汚れていただろうに 部屋の中にも平気であげていた。
長女が生まれて メチャは私の実家に里子にだした。
メチャは、炬燵布団に粗相したり、家の中の有りとあらゆる所に粗相し始めた。環境が変化したストレスだったのだろう、
実家に妹の子が誕生したので メチャは小屋の中が寝床になった。
娘の子が幼稚園ぐらいになったときメチャはその生涯を終えた。

島原で、9月から3月まで産休補助教員をした。
たまたま夫の上司の妹さんの代わりだった。
11月頃懐妊したが しばらくは職場に報告せずにいた
産休補助教員が妊娠するって、ちょっとしゃれにならないかな、とおもったから

4月から仕事を辞め、子供の誕生を待った。
8月、里帰りして元気な女の子を産んだ。
その2年前、夫を亡くした母に 元気がみなぎってきた
一生懸命初孫を世話し、可愛がってくれた。
2ヶ月ほど実家にいて やっと夫の待つ九建アパートに帰った。でもしばらくは母がいてくれた。
甘えることが母にとって良いことのような気がしたけれど 自分も不安だったから

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